
広島に原爆が投下されて今日で70年
私が生まれ育った和歌山市にも大空襲がありました
昭和20年(1945)7月9日深夜アメリカ軍のB29爆撃機が10
未明まで焼夷弾の雨を降らせ市街地の7割が一夜にして
焼野原 死者1400人を超え市内の2万7402戸が全焼した
その時私は一歳半 戦争の記憶がないが両親と兄姉家族
7人で寄合橋の橋の下に逃げ込んだ
川の上流から焼死体が次から次へと流れてきたそうな
無論私の家も全焼
丸裸となりました
奈良県吉野の父親の実家に疎開するが招かざる客!?
母は大変苦労したと思います
和歌山に戻り焼け跡にバラック小屋を建てました
妹が誕生し家族8人の生活が始まった
自給自足の生活 茶がゆの日々
入学して一番心配したのは時間割
書道の道具が一つしかありません
一学期みんなの時間割を調節しながら書道道具を持ち回
りで授業を受けた
道具は一人で一つの時代では無かった
一家族に一つの時代だった
終戦当時は皆が皆 貧しかった
貧富の差はなかった
だからそれなりに楽しく生活が出来たかも!?
日本経済は戦争によって発展したのは事実です
確かに国は富みました
戦争
絶対にしてはなりません
戦争に加担してもなりません
互いに不幸になるだけです
武力で平和は訪れません
写真 戦火の中家族が逃げ込んだ寄合橋 |
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