
63年生きてきた。頭の良い人は、生かされてきた、と表現されるでしょう。 私は三回死にかけた。 紀ノ川(和歌山)で溺れてこと。 タクシーと衝突したこと。 ガス中毒にあったこと。 いずれも奇跡的に助かった。 家は貧乏だったから、早く社会に出たかった。 中学生の時地元の大手鉄鋼会社を受験した。 見事失敗した。 高校生の時、給料の一番高い会社を受験した。 見事合格した。 高卒・大卒という違いだけで、給与格差が生じるのに疑問を抱いた。 二年半夏のボーナスを貰って退職した。 大学進学を決めた。 教科書など本のたぐいは就職と同時に全部捨ててしまった。 進学のための参考書購入から始まった。 我が人生のなかで、この3ヶ月が一番勉強したと思われる。 関西の大学、関・関・同・立は見事失敗、東京の日本大学に辛うじて滑り込んだ。 東京は私にとって、憧れの街でした。 奨学金とアルバイトで何とか卒業した。 卒業時には‘優等生’として表彰された。 結婚式での仲人のスピーチには、『新郎は成績優秀で・・・・』という言葉が必ずあるものの、私の時は誰一人言ってくれなかった。 嫁さんは風呂に行ってきます、と言ったまま、ずーーーと帰らなかった。 40歳で退職、独立した。 20年人生の裏街道を見続けてきた。 人の痛みは十分理解できるようになってきた。 安倍サン、朝青龍サン、麻生サン・・・・・、身体は大切に!!!!!。 |